H.S.P RACING-SALONについて

H.S.Pの行うすべての事業から得られる情報を土台にした「馬券投資推奨プログラム」を提示することには「功罪」があると考えており、そこには「是非」を問う声が上がっていることも事実である。がしかし、私共はその「功」の部分に目を向け、「H.S.P RACING-SALON」の開放を決め、そこで4大SP事業部がそれぞれに提示する「HSP認定競走」の提供を始める。

馬券という特性を考えた時、そこには様々な価値観が混在する。
「高配当が取れればいい」という方も居れば、「コンスタントに的中を取りたい」という方もいる。
「1点100円しか買わない」という方も居れば、「当たるなら100万円でも200万円でも突っ込む」という方もいる。

つまりは「馬券を買う」という行為に対して「リスクの取り方(価値観)が各個人で違う」ということ。

何を当たり前のことを書いているんだと思われるかもしれないが、これが実に難しいのだ。
私共はドバイの国王を筆頭に、様々な馬主、オーナーブリーダー、資産家を相手に事業を行ってきたが、まず「お金の価値観」自体がそれぞれで大きく違う。

100万円をはした金という超資産家も居れば、1000円、100円にまでこだわる資産家も居た。

つまり【価値観の相違】をどう考えるのか?

という点が、馬券情報を提示する際に一番難しいポイントだと考えている。

次に難しいのが【偶然の的中の存在】である。
競馬は「必然の勝利」と「偶然の勝利」が混在した世界であるが、馬券ファンの中には「勝てば官軍」「当てたものが強者」という考え方を持つ者が少なくない。

何が言いたいか?

仮に私共H.S.Pが「A」の馬を推す。
しかしアナタは「Bの馬が勝つ」と信じている。

もちろん私共の情報を手にし「Aの馬を推奨する根拠」を聞けば納得していただける筈だが、結果とは時にいたずらなもので、そこまで根拠のある「A」が出遅れや不利などで敗戦し、「Bの馬が勝ってしまうことがある」のが競馬だ。

その際に、アナタは私共の事をどう思うか?

「この嘘つき野郎」
「こんな奴ら信じなければよかった」
「俺の言っている事の方が正しいじゃないか」

そう思うはず。

「生兵法は怪我のもと」と言われるが、馬券にはビギナーズラックの様に「生兵法」でも的中という結果を得られるケースが往々にしてあるということ。

そして、結果さえ出てしまえば「その生兵法が【正しい】」と勘違いし、再現性の低い「オカルト的法則」に走るという誤解をされる方が多いということ。

そう、『何をもって「正しい」とするか』が、こと馬券においては結果からは計りにくいのである。

なぜこの現象が起こるかと言えば「局所を切り取るから」ということになるわけだが、我々は競馬ファンを「局所を切り取る天才」だと思っている。

つまりは『木を見て森を見ず』の傾向が強い方が多い、ということなのだが、その原因こそが「偶然の勝利が混在してしまうこと」であり、その結果「森が見えなくなる」という現象が起こる。

なぜ森を見なければならないかと言えばそれは「高再現性を目指すから」であるが、人間の心はそう単純ではない。

ただの不的中であれば多くの方は「これは仕方ないよ」と受け入れられるケースが多いのだが、上記のようなケースは「関係性がこじれる大きな要因」となるのである。

これは「競走馬購入のシーン」でも見受けられるのだが、とりわけ「馬券」ということになると視野狭窄に陥る方が多いというのが私共の結論であり、正直な話、私共が最初は情報公開に実は後ろ向きであったことの一番の要因が「この現象を解消する術がない」と考えたからである。

率直なお話をすれば、この現象がある以上、「私共の情報をもってしても全員を幸せにできるかは疑問である」と申し上げておきたい。
更に噛み砕いて申し上げれば「私共の価値観、価値基準に従えないのであれば入会はご遠慮いただきたい」ということ。

つまり「局所を切り取る天才の相手はしかねる」ということ。

厳しい言い方かもしれないが、それがお互いのためであり、私共がこの現象を解消するための唯一の術が、こう考えることである。

これが情報公開における功罪の「罪」の部分であると考えているが、それを踏まえても「功」の部分を必要としてくれる方、この考え方に理解を示してくれる方にとっては他に類を見ないだけの「利益」を享受していただけると信じてやまない。

この考え方を根底に置き「H.S.P RACING-SALON」の開放を行う。
相互理解の上になりたつ、最高の競馬投資をご堪能下さい。